アッラーと終末の日を信じる者であれ

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2018年7月13日)
―― アッラーと終末の日を信じる者であれ ――

あらゆる賞賛は、アッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

信者たちよ。何かに従おうとするならば、至高のアッラーに心を寄せ、アッラーの教えと御命令に従うように心掛けなさい。アッラーを畏れなさい。アッラーは、クルアーン・高壁章において述べておられる。
「・・・主を畏れる者にとって、来世の住まいこそ最も優れている。お前たちは理解しないのか。」(7章 169節)

信者たちよ。イスラーム信仰の大事な事柄の一つとして、審判の日が存在することを信じるということがある。その日、人々は、主によって審判される為に死んだ姿から生前にあったままの姿に蘇へさせられる。その日、人々は、現世で行った大小様々の言葉や行いに従って報いを受けることとなる。
アッラーは、クルアーン・地震章において述べておられる。
「一微塵の重さでも、善を行った者はそれを見る。」「一微塵の重さでも、悪を行った者はそれを見る。」(99章 7–8節)
終末の日と最後の審判の存在を信じることには、大きな意義がある。例えば、そのことが、現世と来世において幸せが実現するように、信者たちが沢山の善行を積むように駆り立てるとうことである。至高のアッラーは、信仰篤い者に善行を結びつけ下される。至高のアッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。
「・・・アッラーと最後の(審判の)日とを信じて、善行に勤しむ者は、彼の主の御許で、報償を授かるであろう。彼らには、恐れもなく憂いもないであろう。」(2章 62節)
そのような報償を求めて、敬虔な信者たちは、現世と来世での幸せが得られるようにと、謙虚な気持ちで心から主に祈願するようになる。そのことについてアッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。
「また、人々の中には(祈って)、『主よ、現世で私たちに幸を与えられ、また、来世でも幸を御与え下さい。業火の懲罰から、私たちを御守り下さい。』と言う者がある。」(2章 201節)
このことは、敬虔な信者にとっての最重要ななことである。来世での報償に期待を寄せて、現世で善行を積むということである。至高のアッラーは、クルアーン・夜の旅章において述べておられる。
「しかし、誰でも来世を望み、それに向かい精進し努力する敬虔な信者、これらの者の努力は、受け入れられる。」(17章 19節)
来世での良い住処を望み、現世で善行を積む為に喜んで努力する者について至高のアッラーは、足らない点を見い出しながらも、御優しさの故に満足なされ、最大限の報償で報いて下される。そこに、我々信者たちは、来世の為に、最良の人生、最良の稼ぎと使い方についてのヒントを見付け出す。最善の結果を獲得する為の方法は、沢山あるのであるが、その一つは、至高のアッラーを畏れることであり、主を明確に知覚することは、来世の為の十分な報償を得ることにとって、とても大切なことである。
至高のアッラーは、クルアーン・ユーヌス章において述べておられる。
「彼らは、信仰し、(アッラーを)畏れていた者たち。」「彼らに対しては、現世でも、来世においても吉報がある。・・・」(10章 63–64節)
このことについて、預言者さまSAWは、次のように述べておられる。「アッラーと終末の日を信じる者は、アッラーを畏れるものである。」 また、至高のアッラーの御満足を求めることは、善行であり、預言者さまSAWの導きに従うことも善行であるり、それを行う信者に対してアッラーは、終末の日の良い報償を約束なされる。
至高のアッラーは、クルアーン・部族連合章及び集団章において述べておられる。
「誠に、アッラーの使徒は、アッラーと終末の日を熱望する者、アッラーを多く唱念する者にとって、立派な模範であった。」(33章 21節)
「夜に眠らず目を覚ましている時に、サジダし、あるいは、立って礼拝に打ち込んで来世に備え、また、主の御慈悲を請い願う者(がそうではない者と同じであろうか)。言ってやるがいい。『知っている者と、知らない者と同じであろうか。』 訓戒を受け入れるのは、思慮ある者だけである。しかし、誰でも来世を望み、それに向かって精出し努力し、信仰する者、これらの者の努力は、受け入れられる。」(39章 9節)
この意味は、至高のアッラーより御恵みが得られると期待し、完全な信仰心をもって、心からの御赦しを求める為に真夜中の礼拝に立つ者についてのことである。そして、終末の日と永遠の楽園に住むという素晴らしい報償をアッラーが御用意下さると信じる者にとって、現世と来世での幸せを懇願するということへの導きがある。敬虔な信者が懇願することについて、至高のアッラーは、クルアーン・イムラーン家章において述べておられる。
「・・・『主よ、私たちの様々な罪や行き過ぎた行いを赦して下さい。・・・』」(3章 147節)
至高のアッラーは、懇願に対して御応え下され、更に、寛大な御心で報償を御用意下される。
至高のアッラーは、クルアーン・イムラーン家章において述べておられる。
「こうしてアッラーは、彼らに現世の報償と、来世の善美の報償を授けなされる。アッラーは、善い行いをなす者を愛でられる。」(3章 148節)

信者たちよ。終末の日を信じることから得られる徳として、礼儀正しく、行いが洗練されるということもある。来世で素晴らしい報償を得たいという思いのお陰で、振る舞いが謙遜、謙虚になるということである。アッラーの恩恵によって、謙遜な信者に対しては、楽園の美しいお庭が用意されている。
至高のアッラーは、クルアーン・物語章において述べておられる。
「来世の住まいとは、このようなもの。われは、地上において威張りたがったりせず、悪を行わない者にこれを授ける。良い結果は、主を畏れる者にある。」(28章 83節)
預言者さまSAWは、次のように述べておられる。「アッラーと終末の日を信じる者は、ご近所さんに親切にし、来客を歓待し、良い話をするか、そうでなければ沈黙を守るものである。」 要するに、親切で謙虚で、威張ることのない、無駄なことを言うことのない人ということである。また、現世と来世で幸せであることを祈願する者は、親戚の絆を大切にする者である。預言者さまSAWは、次のように述べておられる。「アッラーと終末の日を信じる者は、親戚関係にある人々と親しく付き合う者である。」

信者たちよ。アッラーを心から信じる者であり、現世での幸せと、来世での素晴らしい報償を授かる者であるように、アッラーに祈願しようではないか。アッラーよ、クルアーンと預言者さまSAWのスンナに従う者であるように御導き下さい。アッラーよ、過ちについての御赦しを乞い、御赦し頂ける者であるように御導き下さい。

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブーバクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

アッラーよ、終末の日に備え、善行を積むことが出来る者であるように御導き下さい。
アッラーよ、何時でもあなたさまを顧みて感謝し、満足を知る者であるように御導き下さい。
アッラーよ、クルアーンと預言者さまSAWのスンナに従う者であるように御導き下さい。
アッラーよ、正しい道を歩む忍耐強い者であるように御加護下さい。
アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ。日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

ホトバ要約.

Comments are closed.