審判の日の備えとして大事な事柄

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2018年4月13日)
―― 審判の日の備えとして大事な事柄 ――

あらゆる賞賛は、アッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

信者たちよ。ムスリムが生活する上で大事にすべきことについてである。現世と来世で成功を得る上で大事であるとはっきりしていることは、アッラーの御悦びを得ることである。先ずは、大事な二つの柱についてである。アッラーの御使いSAWは、述べておられる。「アッラーは、おっしゃられた。『われは、われの敬虔なしもべに対して敵意を示す者に宣戦する。われに近付こうとするしもべの最も好ましい行いとは、われがしもべに命じたものである。敬虔なしもべは、われが命じた務めの行いと、それ以外の良い行いを実行しわれに近付いてくる。やがて、われは、その者を愛するようになる。そうしたしもべが見たり聞いたり、触れたり、出掛けたりすることが、われが好ましいと思うものとなる。そうすると、その者の願いを聞き届け、その者が加護を願えば応えて上げる。』」 このハディースから、アッラーが命じられる務めの行いと、スンナの行いを出来る限り行うことの大切さが分かる。
第1の柱は、務めの行いを確実に実行しなさいということである。それがアッラーとのつながりを保つ為の最小限の事柄であり、アッラーの恩恵に対する感謝の気持ちを示すものである。
第2の柱は、その都度の寄付、施し、務め以外の礼拝、ラマダーン月以外の断食斎戒等の実行といった任意の善行を行うことである。これらを行うことで、アッラーは、祝福を下され、アッラーがそれを行う者を愛するようになる。その結果、努力が報いられ、願いが叶えられ、きっと、来世では、楽園へと導かれることであろう。

信者たちよ。この二つのことは、ムスリムの生活にとって大事なことである。更に、ムスリムが目指すべき五つの大事な事柄がある。アッラーの御使いSAWは、述べておられる。「審判の日に、それが問われるまでは、裁きが終わらない事柄がある。命をどのように使い尽くしたか。知識をどのように得て、どのように使ったか。財産をどのようにして得て、そして役立て、無駄使いしたか。自分の身体をどのように使ったか。」
さて、五つの事柄とは以下のとおりである。
第1は、知識について
知識について、それが有ると無いとでは、大いに異なるということを、アッラーは、クルアーン・集団章において述べておられる。
「夜に眠らず目を覚ましている時に、サジダし、あるいは、立って礼拝に打ち込んで来世に備え、また、主の御慈悲を請い願う者(がそうではない者と同じであろうか)。言ってやるがいい。『知っている者と、知らない者と同じであろうか。』 訓戒を受け入れるのは、思慮ある者だけである。」(39章 9節)
預言者さまSAWは、度々、信者たちに知識を求めなさいと教えられ、知識を得ることは、アッラーが御悦びになる事柄であると述べておられる。知識は、信頼度の高い行いをする上での源泉となるものであるから、アッラーは、行いを何の知識に基づいて行っかを問われるのである。教友たちは、クルアーンを記憶することによって、知識を蓄積していったという。
第2は、時間の使い方について
時間は、人間が係わる最も尊い資源の一つである。他の資源、即ち、お金、子孫などとの比較において、時間は、例え何かを行ったとしても自分で増やすことは出来ない。ムスリムなる者は、生きている間中、効率よく時間を使うことを心掛けなければならない。
第3は、心を浄化するということ
人々は、人間は本来的に善であるか悪であるかという議論に陥り混乱をきたしている。そのことは、イスラームにおいては、極めて明確になっている。即ち、アッラーは、両方の性質を植え付けたということである。
アッラーは、クルアーン・町章において述べておられる。
「更に、二つの道を彼に示した(ではないか)。」(90章 10節)
善に向うも悪へ向かうも、各人の選択の許に有るということである。
アッラーは、クルアーン・太陽章において述べておられる。
「太陽と、その輝きにおいて、」「それに従う、月において、」「(太陽を)輝き現わす昼において、」「それを覆う夜において、」「 天と、それを打ち建てた御方において、」「 大地と、それを広げた御方において、」「魂と、それを釣合い秩序付けた御方において、」「邪悪と信心に就いて、それ(魂)に示唆した御方において(誓う)。」「本当にそれ(魂)を清める者は、成功し、」「それを汚す者は、滅びる。」(91章 1–10)
悪から善へと心を悔い改める者は、勝利する。悪の道を選ぶ者は、自分自身以外にそのことを呪う者はいない。
第4は、戒律との係わりについて
アッラーの教え、即ち、戒律を守る為に、疑わしいもの、禁止されたものを避けなさい。
第5は、良い交友の勧めについて
これは、とても大切な事柄である。ムスリムは、自分の中の悪と、外にいる悪魔という、二つの敵を抱えて生きている。この敵と戦うには、力を貸してくれる誰かが必要である。敬虔な友達ばかりが周囲にいるなら、アッラーの御側に居続けられる保証のようなものである。アラビア語で人間のことを、insan(インサン)と言うが、nisyan(ニシャン)即ち、忘れっぽいと言う言葉と同じ語源を持つ言葉である。人間は、忘れっぽい存在であるから、insanと呼ばれるということである。敬虔な良い友達を持ち、アッラーを常に思い、ムスリムとしての行いを果たす上で、友達同士は、忘れることを思い出す為に補い合い、互いに影響し合うとうことが大事である。
アッラーは、クルアーン・識別章において述べておられる。
「その日、悪を行った者は、(しまったと、)その手を噛み、言うであろう。『ああ、自分がもし使徒と共に(正しい)道を選んでいたならば。』」「『ああ、情けない、私があんな者を友としなかったならば。』」「『誠に、彼は、訓戒が下った後に、私を迷わせたのです。悪魔は、常に人間を裏切ります。』」「使徒は言う。『主よ、誠に、私の人々は、このクルアーンを忌むべきものとして拒否します。』」「われは、このように、それぞれの預言者に、罪深き者たちの中から敵を創る。だが、指導者、援助者としては、あなたの主だけで十分である。」(25章 27–31節)

最後に、アッラーが御悦びになられることとは何かを考えてみようではないか。審判の日に、アッラーは、何を我々に問われるのかを知っておこうではないか。何を大事にしなければならないのか、具体的に上げてみようではないか。それをすることは、現世と来世での成功の源泉となるであろう。

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

アッラーよ。審判の日の備として大事なことを心得、実行出来る者であるように御導き下さい。
アッラーよ。あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。
アッラーよ。あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。
アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。
アッラーよ。私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。
アッラーよ。日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ。イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ。日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

ホトバ要約.

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