大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2018年1月19日)

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2018年1月19日)

―― 親切で情け深くありなさい ――

あらゆる賞賛は、アッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

アッラーは、クルアーン・鉄章において述べておられる。

「お前たち信仰する者よ。アッラーを畏れ、アッラーの使徒を信じなさい。アッラーは、倍の慈悲を授け、また、光明をお前たちのために設け、それで(正しい道を)歩ませ、その上、お前たち(の過去の過ち)を赦される。誠、アッラーは寛容にして慈悲深くあられる。」(57章 28節)

アッラーは、アッラーを畏れるように命じておられる。そのことをいつでも心に留め、日々を過ごしてゆきたいものである。

信者たちよ。慈悲は、至高のアッラーの属性の一つである。

アッラーは、クルアーン・家畜章において述べておられる。

「・・・お前たちの主は慈悲深い御方で、凡てを包容なされる御方であられる。・・・」(6章 147節)

神の比類のない慈悲の現われと、創造物に対する恩恵は、アッラーに備わった特性の結果である。高貴な御力を備えられたアッラーは、クルアーン・家畜章において述べておられる。

「・・・あなた方の主は、慈悲を御自身の務めとされる。・・・」(6章 54節)

アッラーの慈悲は、それがあらゆるものに及び、あらゆるものを取り囲む。

アッラーは、クルアーン・家畜章において述べておられる。

「・・・また、われの慈悲は、あらゆるものにくまなく及ぶ。・・・」(7章 156節)

アッラーの慈悲の偉大さについて、アブー・フライラ師(平安を)は伝えている。「私は、アッラーのみ使いSAWが、次のように言われるのを聞いた。『アッラーは“慈悲”を100の部分に分けてお創りになり、99の部分をお手許に置かれ、地上には、その一つの部分だけをお下しになった。創造物たちが互いに愛し合うのもその慈悲の一つの部分によってであり、動物たちが、足を痛めぬように、生後間もなく蹄を持つようになり、また、母馬が、仔馬を踏みつけないように、蹄を仔馬から遠のくように持ち上げるのも、この慈悲のお蔭である。』」 また、慈悲は、アッラーの使徒 の特質の一つであり、至高のアッラーは、そのことに関してクルアーン・イムラーン家章及び悔悟章において述べておられる。

「あなた(ムハンマド)が彼らを優しくしたのは、アッラーの御恵みであった。あなたがもしも、薄情で心が荒んでいたならば、彼らは、あなたの周囲から離れ去ったであろう。だから、彼ら(の過失)を許し、彼らの為に(アッラーの)御赦しを請いなさい。・・・」(3章 159節)

「今、使徒がお前たちの間から、お前たちの為にやって来た。彼は、お前たちの悩みごとに心を痛め、お前たちのことを思い、とても心配している。信者に対し優しく、そして、情け深い。」(9章 128節)

信者たちよ。人は他人に情け深くあるべきである。預言者さまSAWは、「人に情け深くある者は、最も情け深くあられるアッラーからの情けを受けられる。」と言われた。誠に、アッラーの慈悲は、人間、動物、植物のあらゆる創造物に対して振り向けられている。そして、アッラーの慈悲を受ける手立ての一つは、アッラーに対して忠実であることである。至高のアッラーは、クルアーン・イムラーン家章において述べておられる。

「アッラーと使徒に従いなさい。そうすれば、お前たちは、慈悲を受けられるであろう。」(3章 132節)

また、クルアーンの読誦に接したなら、クルアーンの読誦に神の慈悲を思いつつ耳を傾けることについて、アッラーは、クルアーン・家畜章において述べておられる。

「それでクルアーンが読誦される時は、それに心から傾聴し、また、静粛にしなさい。恐らく、お前たちは、慈悲を受けることとなるであろう。」(7章 204節)

また、アッラーに赦しを求めることは、アッラーの慈悲を受け取る手立てとなる。

至高のアッラーは、クルアーン・蟻章において述べておられる。

「・・・何故、お前たちは、アッラーの御赦しを請わないのか。必ず恵みにあずかるというのに。」(27章 46節)

神の慈悲に対して祈りを捧げること、それは、最も慈悲深いアッラーに懇願することであり、アッラーが赦しと憐みをもってしもべを清める要因である。アッラーは最も高貴であられ、御自分に求める者に応えられ、御自分に求める者に与えられる。

信者たちよ。慈悲は、最も情け深くあられるアッラーの美点の一つである。慈悲は、それを求めるアッラーのしもべの為に御用意されたものである。誠に、天国にある者とは、神の慈悲を受け取った者のことである。なぜならば、至高のアッラーは、他人に対して親切を尽くすアッラーのしもべには、御自身からの慈悲をきっと授けられるからである。一方で、哀れな者というのは、こうした慈悲を拒否する者のことである。預言者ムハムマドSAWは、述べておられる。「至高のアッラーは、他人に親切にしない者には慈悲を授けられない。」「アッラーは、あさましい者に限っては、その者から慈悲を引き上げられる。」 実際のところ、人間の全ては、慈悲なしには生きられないし、情け深さが形になった最良のものとして、自分の両親に親切にし、優しく接することがある。このことについて、アッラーは、クルアーン・夜の旅章において述べておられる。

「・・・主よ、幼少の頃、私を愛育してくれたように、(両親)2人に御慈悲を御授け下さい。・・・」(17章 24節)

情け深くあることは、集団の各人の間に相互作用が働いて、全てに行き渡るべきである。それで、家族の長は、配偶者、子供たちを世話し保護するに当たって情け深くあらねばならない。情け深くあることは、強い者が弱い者に対する真理であり、先生は生徒に対して忍耐強くあり、雇用主は雇用者に対して公正であり、商人は値を吊り上げないということである。

信者たちよ。同様に、動物に対しても情け深く接するべきである。預言者さまSAWがある時、アンサール(マッカから逃れてきた信者たちを受け入れたマディナの信者たち)の農園に入った。そこには一頭のラクダがおり、預言者さまSAWには、そのラクダが怯えて涙を流しているように見えた。預言者さまSAWが、ラクダの側に行き、首筋の後ろ、耳の後ろを撫ででやると、そのラクダは呻くのを止めたのであった。そこで、預言者さまSAWは、「このラクダの持ち主は誰かね。」と尋ねた。持ち主が名乗り出ると、預言者さまSAWは、「アッラーがあなたに、ラクダを所有させて下さったのだ。そのラクダの扱いについて、あなたは、アッラーを畏れないのかね。食べ物を十分与えず、重労働をさせ、力以上の仕事をさせていると、このラクダは、私に不満を訴えているではないか。」と言われた。 

信者たちよ。お互いが優しく接し合うというのは、アッラーが我々にもたらされる慈悲のお陰であることを知りなさい。我々は、お互い情けをもって接し合い、互いが薄情であってはならないということである。預言者さまSAWは、次のように述べておられる。「他人に情け深く接しなければ、楽園には入れないでしょう。情け深くあるということは、自分の家族や身近にいるものに対してだけでなく、全てに及ぶべきものです。」

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

アッラーよ、誰に対しても親切で情け深くある者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

ホトバ要約.

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