大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年12月29日)

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年12月29日)

―― 易しい宗教であるイスラーム ――

あらゆる称賛はアッラーのもの。その御方は、人間とジンを含む生き物、そして、世界全体への慈悲の為に預言者ムハムマドSAWを遣わされた。人間を創造なされ、それ故に、人間自身以上に人間の本性をよく知っておられる。アッラーは、人間の本性に最も適した宗教、平易な宗教、イスラームを我々の為に御用意くだされた。アッラーでなくして崇拝に値する何ものも存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

信者たちよ。アッラーへの信仰行為を通して、アッラーを愛する気持ちを強くし、信仰心を篤くしようではないか。イスラームは、信仰と信仰行為が一体として組み合わさった大層明快で、難しいところのない宗教である。また、イスラームは、行うのが容易な宗教であり、信者が担うことが出来る以上の困難や重荷を求める宗教ではない。アッラーは、イスラームを容易なものとして形作られる、その容易さについてはクルアーンの多くの章節で述べられている。アッラーは、クルアーン・雌牛章及び巡礼章において述べておられる。

「…アッラーは、お前たちに、やり易いことを求め、困難を求めない。…」(2章 185節)

「アッラーは、誰にもその能力以上のものを負わせられない。…」(2章 286節)

「…だが、故意に違反せず、また、法を越えず必要に迫られた場合には罪にはならない。…」(2章 173節)

「…この教えは、お前たちに苦行を押しつけない。…」(22章 78節)

信者たちよ。この宗教が容易であることについては、行いの中に見つけ出すことが出来る。それは、最高の人格を備えた一人の人物、即ち、預言者ムハムマドSAWが啓示を語ることで人々の許に届いたものであるが、その方の生い立ちを辿ることで、人生のあらゆる場面に、イスラームの容易さと単純明快さを見い出すだろう。信仰行為において、品行において、他の人々へのイスラームへの呼び掛けにおいて、家族に対して、教友に対して、ムスリムではない者に対する時にも、イスラームという教えを容易であるということである。このことを理解する為の幾つかのハディースが存在する。預言者さまSAWは、次のように述べておられる。「アッラーは、厳しくなされたり、困難を引き起こそうとして私を遣わしたのではなく、物事を教え、容易にする為である。」 そして、預言者の妻、高貴で清純なアイシャさま(平安を)は述べている。「預言者さまSAWが幾つかのものの中から一つを選ぶときには、それが悪い行いではない限り、最も容易なものを選ばれた。」 更に、預言者さまSAWは、次のように述べておられる。「死なないように、自分に負担をかけ過ぎないようにしなさい。以前の者たちの中には、自分に負担をかけ過ぎて死んだ者がある。そうした者がいた痕跡としては、人里離れた一軒家とか修道院というものがある。」 また、物事を困難にしないということを理解する為に次のハディースが参考になる。「一人のベドウィンがマスジドの中で放尿をしていた。人々が立って彼を叱責しようとした時、アッラーの御使いSAWは、『ほっておきなさい。止めるに及ばない。』といわれた。そして、この男が放尿を終えた時、水が入った容器を運ばせ、その放尿の跡を洗い流させた。そして、預言者さまSAWは、『物事を簡単にするように啓示がなされている。物事を難しくしてはいけない。』と述べられた。

信者たちよ。預言者さまSAWの教友たちについての物語の中には、イスラームが容易であることについての多くの教えがある。オマール・ビン・アルハタブ(平安を)が一人の友と旅に出ていたら、或る家の上の方から落ちてきた水がかかった。そこで、彼は、それが綺麗な水であるかを知りたいと思い、その家の者にその水が綺麗かどうかを尋ねたが、確かな答えは無かった。それで、詳しく調べるには及ばないと言って立ち去った。また、イスラームの容易さについてはイスラームの敵対者によっても証明されている。それは、預言者さまSAWの時代に、ユダヤ教徒の男女が過ちを犯した時の事についてである。彼らの或る者が仲間の他の者に、『預言者の所へ行こうではないか。なぜなら、易しい教えが啓示されていると言うではないか。』と語ったという。 

信者たちよ。イスラームの容易さについての、その他の事例を探ってみようではないか。礼拝に係わる例であるが、礼拝はイスラームの大層大事な核心的な行いであるが、その礼拝についてさえアッラーは、容易なように命じられた。最初、礼拝は50回であったが、減らされて5回までとなった。「ムハムマドよ、命令を変更するものではない。それらの5回は、50回の報酬に相当する。」と、アッラーは宣告されたというのである。それらの、日に5回の礼拝については、清潔でありさえすれば場所や状況を問われない。そして、礼拝に先立ちムスリムたちは、水による清めを求められるが、或る状況の下では、タヤムン、即ち、綺麗な土で顔と手を拭う代用の行為が許されている。また、病気で礼拝に立つことが困難ならば、座ったままで、寝たままで差し支えない。旅にあれば、纏めたり4ラカアの礼拝を縮めたり出来る。その他には、断食斎戒については、旅人、妊婦、授乳者に対しては、それぞれに、特別な決まりが用意されている。イスラームでは、物事を容易にするように図られているのである。ハッジについては、行う能力の備わった者だけに果たされ、ザカートについては、借金を抱えた者には支払いを負わせない。また、イスラーム法では、仕方がない状況に置かれた者については、ハラムである死肉等を食べても良いとされ、その他にも種々の配慮があるのである。既に述べた、これらのことから分かる通り、イスラーム法は、容易と簡単を旨とし、事情に応じて代案を設け成り立っているのである。だが、これらの代案を適用するには一定の条件がある。その条件とは、クルアーンやハディースという出典に基づき、教えに従って代案を適用するということである。それ故、それらの代案は、各人のその時々の気まぐれや期待に任されるものではない。それらの代案を適用する条件について気ままに拡大解釈をほどこでぃたり、代案だけを重要視する結果、代案の部分を切り取り一人歩きさせる事は禁じられている。

信者たちよ、ここで最も大事な点は、アッラーがしもべたちに出来る以上のものを負わせないという、その慈悲溢れる特質を学ぶということである。我々がそれらのアッラーの御心遣いを心で捕らえるならば、アッラーに対する、また、アッラーの御使いとアッラーの書に対する我々の愛する気持ちが深まるであろう。我々がアッラーに完全に服従するようにと導くその愛は、アッラーの御命令を重んじることをゆるぎのないものとし、そして、アッラーへの信仰行為を完全に受け入れることとをゆるぎのないものとするであろう。

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

アッラーよ、イスラームが平易な宗教であると理解し、行いを難しくする者ではないように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAWを愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAWに従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に安心と安全を、そして、行いと仕事に喜びと成功を御与え下さい。 アーミィーン

ホトバ要約.

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