アッラーを思うこと(2017年9月1日)

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年9月1日)

―― アッラーを思うこと ――

あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

信者たちよ、アッラーを畏れなさい。アッラーの教えと御命令が一番大事なものである。それ故、アッラーが禁じられることから身を遠ざけなさい。アッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

「お前たちは、聖なる儀式(巡礼)を果たしたならばアッラーを念じなさい。自分たちの先祖を念じる様に。いや、それよりも深く心を込めて念じなさい。人々の中には、『主よ、現世で私たちに幸せを賜りますように。』と言う者たちがあるが、彼らは、来世における分け前を得られないであろう。」「また、人々の中には、『現世で私たちに幸せを下さって、更に、来世でも幸せを下さいますように。業火の懲罰から、私たちを守って下さい。』と言う者がある。」「これらの者たちには、その行ったことに対して分け前があるだろう。誠、アッラーは、精算に素早くあられる。」(2章 200—202節)

いずれの民族も誇りとする何かを持ち合わせている。その誇りとするものとは、自分たちの狭い考えや奇跡などと称する出来事に由来するものに過ぎない。そこには、確かな神意とか、正しい教えといったものは存在せず、地上や天上からの啓示といったものに従うものでも無い。一方で、アッラーは、イスラームの信者たちの為に恩恵を全うし、イスラームを宗教として完全なものとし、信者の守護者であられ、そして、イスラームをあらゆる宗教を越えた保障のあるものとして位置づけられた。アッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

「われを念じなさい。そうすれば、われもお前方について考慮するであろう。われに感謝し、恩を忘れてはならない。」(2章 152節)

起きて、寝て、座り、立ち、朝出掛け、夕方戻るあらゆる時に、アッラーに思いを寄せるムスリムたちは、心臓が鼓動し、目が動き、手足が動くといった事について、それらの全てがアッラーの御望みと支配によるものであると知り、感動を覚える。夜が来て、昼間を迎え、夜明けの瞬間や薄明かりがあり、そして、創造物の動きや星々の軌道に従った動きといった現象があるが、アッラーに思いを寄せるムスリムたちは、そうした現象の中に、イスラームが内に秘めている奥深さを感じ取る。なぜなら、そうした全てが、アッラーの御力と御配慮によるものであると分かっているからである。アッラーは、クルアーン・イムラーン家章において述べておられる。

「立ち、または座り、または、横たわってアッラーを唱念し、天と地の創造について考える者は言う。『主よ、あなたさまは、いたずらにこれを御創りになられたのではないのです。あなたさまの栄光を讃えます。火の懲罰から私たちを御救い下さい。』」(3章 191節)

アッラーを愛し、アッラーに愛され、アッラーの故に愛をおぼえる者を除けば、誰も人生における本当の喜びも、本当の幸福も感じ取れないのである。アッラーを愛し、アッラーに愛され、アッラーの故に愛をおぼえる者は、アッラーを思うが故に心穏やかである。彼らは創造物に起こる良いことに幸せを感じ、そして、他の人の痛みを感じ取り、人々が人間としての最終の希望を叶えられるようにと、援助の手を差し延べる。そして彼らは、アッラーを思い、「アッラーよ、あなたさまが与えて下されないなら、私にも、あなたさまが創造された他の何ものにも恵は存在しません。あなたさまは唯一であり、協同者は居られず、あなたさまは、称賛と感謝に値する唯一の御方であられます。」と述べる。彼ら敬虔な者たちは、一時のものに過ぎない現世で起こる物事の中に潜んでいるまやかしや、楽しいものに見えてしまう俗事から自分を遠ざける。彼ら敬虔な者たちは、アッラーの御悦びが得られる道を進み、アッラーにお会いできることを強く望み、あらゆる時と状況にあってアッラーの御名を忘れず思い続ける。アッラーは、クルアーン・家畜章において、預言者ムハムマドSAWが語る言葉を述べておられる。

「言ってやるがいい。『私の礼拝と奉仕、私の生と死は、万有の主アッラーの為であります。』」「『アッラーには同位者はありません。この様に命じられた私は、ムスリムの先駆けであります。』」(6章 162–163節)

信者たちよ、主が天使を前にして、人々を誇らしく思われるということがあるという。「教友たちがマスジドで座り円陣を作っていた。そこに御使いさまSAWが来られた。『座って何をしているのか。』とお尋ねになった。それに対し、『私たちはアッラーに祈願し、アッラーを讃えるために座っているのです。なぜならアッラーは、私たちをイスラームの道に導き、私たちに加護を与えて下さったからです。』と答えました。この時、御使さまSAWは、『アッラーにかけて、なんとあなたたちはそれだけのために座っているのですか。』と言われたので、彼らが、『アッラーに誓って!私たちが座っているのはその目的のためだけです。』と答えると、『私は、あなたたちに異議があって、誓いを求めているわけではありません。ただ、天使ジブリールが私の処に来て、アッラーは、天使たちにあなたたちの素晴らしさについて語っておられると、私に知らせて下さったからです。』と言われた。」 至高のアッラーを思うこと、アッラーへの懇願、アッラーへの良い行い、信仰行為が、アッラーにとっての誇りなのである。良い信者たちは、アッラーを思い、純真無垢な心を持ち、アッラーに服従し、その一方で、短気にならず、卑屈でもなく高慢でもなく、謙遜であって、そして労働の場では誇りを持って足を泥にまみれにし、手は骨折りに耐え、労苦に立ち向かう。そうした、敬虔なムスリムたちは、次のように言うのである。それは、御使さまSAWが何時も唱えられた言葉である。「アッラーよ、私が無気力、怠惰、臆病、けちん坊、認知症などの状態にならぬよう、また、生と死に関わる試練から、墓での災いを受けぬようお守り下さい。」

ムスリムの望ましい一日は、まだ暗い早朝に、平穏な足取りでマスジドへ向かうことから始まる。敬虔なムスリムは、強い信仰心の故に、主への畏れをもって、主が眼前におられるとの思いにより、日に5回、礼拝に立つ。アッラーは、クルアーン・ター・ハー章及び蜘蛛章において述べておられる。

「…だから、われに仕え、われを心に抱いて礼拝の務めを守れ。」(20章 14節)

「あなたに啓示された啓典を読誦し、礼拝の務めを守れ。誠、礼拝は、醜い行いと悪事から遠ざける。そして最も大事なことは、アッラーを唱念することである。…」(29章 45節)

敬虔なムスリムは、家からマスジドへ向かう時に言うであろう。それは、御使さまSAWが唱えられていたドゥアーである。「おおアッラー、私の心に光を、私の視覚に光を、私の聴覚に光を、私の右に光を、私の左に光を、私の上に光を、私の前に光を、私の後に光を御置き下さい。そして、私の為に光を強くして下さい。」 そして、マスジドに近付いた時には誰でも御使さまSAWが述べられた、次のドゥアーを唱えるがよかろう。「おおアッラー、私の為に、あなたさまの御慈悲の扉を御開き下さい。」 そして、マスジドから出る時は、「おおアッラー、私は、あなたさまの御仁慈を請い願います。」

信者たちよ、イスラームの長い一日の中には、飲食に関わる、家を出る時と戻る時の、寝る時と目覚める時との、困難な時の、健康と病気に関わる祈願がある。そして、生活、困難、借金と支払い、生きる糧、家族関係、子供たちの育成に関わる種々の祈願がある。アッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

「…現世で幸せを、また、来世でも幸せを下さいますように。業火の懲罰から守って下さい。」(2章 201節)

また、アッラーに悪魔の囁きから御守り頂きなさい。アッラーは、クルアーン・雷電章において述べておられる。

「これらの信仰した者たちは、アッラーを唱念し、心のやすらぎを得る。アッラーを唱念することにより、心のやすらぎが得られないはずがないのである。」「信仰して、善行に励む者にとっては、至福が彼らのものであり、善美な所が帰り所である。」(13章 28–29節)

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

アッラーよ、何時でも、あなたさまに思いを寄せる信仰心篤い者であるように御力添え下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

ホトバ要約.

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