財産というもの (2017年4月28日)

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年4月28日)

―― 財産というもの ――

あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

信者たちよ、至高のアッラーに心を寄せ、アッラーの慈悲の下で、教えに従った生活をしなさい。

アッラーは、クルアーン・集合章において述べておられる。

「お前たち信仰する者よ、アッラーを畏れなさい。明日の為に何をしたか、各々が考えなさい。そして、アッラーを畏れなさい。誠、アッラーは、お前たちの行うことをよく御存知であられる。」(59章 18節)

信者たちよ、財産は、人間にとってなくてはならないものであり、それは、アッラーからの賜り物の一つである。財産は、生活を支えるものであり、社会を築く上での極めて大切な要素である。財産はまた、人々の関心の的であり、多くの人は、それを得たいと願う。アッラーは、クルアーン・暁章において述べておられる。

「また、お前たちは、途方もない溺愛の感情で財産を愛する。」(89章 20節)

お金や財産を沢山得ようと熱中するという思いは、人間が生来持っている感情であり、驚くには当たらない。

至高のアッラーは、クルアーン・進撃する馬章において述べておられる。

「また、富を求めることに熱中する。」(100章 8節)

人々が持っている財産は、実は、あらゆるものの所有者であられるアッラーのものなのである。それ故、財産に秘められた大きな価値を考え、それをより有効に使うことは、アッラーから人々への慈悲に適うことである。

アッラーは、クルアーン・鉄章及び雌牛章において述べておられる。

「・・・お前たちの中で信仰して(財産や技能や労力を)使用する者には、偉大な報酬があろう。」(57章 7節)

「・・・また、われが授けたものを施す者、」(2章 3節)

人々は、合法的にお金を得る方法を見付けなければならないし、お金を賢く使わなければならない。預言者さまSAWは、「誠に、価値のある財産とは、良い人の手許のものである。」と述べておられる。至高のアッラーは、しもべのお金や財産を得る手段について、また、許された良いことに費やしたかどうかについて問われるであろう。アッラーは、クルアーン・洞窟章及び高壁章において述べておられる。

「富と子女は、この世の生活の装飾である。・・・」(18章 46節)

「言ってやるがいい。『アッラーがしもべたちに与えられた装飾や(生きる)糧の内で、良いものを禁じたのは誰か。」・・・」(7章 32節)

預言者さまSAWは、「アッラーは、慈悲によって良いものを授けられる。そして、アッラーは、創造にとっての慈悲の成果について知ろうとなされる。」と述べておられる。

誠に、財産は、その所有者であられるアッラーの慈悲の顕われである。財産に恵まれない者や、財産を少ししか得ていない者は、アッラーが自分たちよりも財産を多く得ているものの方が御好みに違いないと考えるべきではない。至高のアッラーは、財産の分配について大層賢明な配慮をなされているのである。

アッラーは、クルアーン・相談章において述べておられる。

「もし、アッラーが、しもべたちに過大に恵みを授けるなら、彼らはたちまち不正に走る。だが、アッラーは、御自身の思いに応じて適度に授けられる。誠、アッラーは、しもべたちを熟知し監視なされる。」(42章 27節)

実際のところ、現世に係わる神の掟の一つは、アッラーが創造の価値だけを考慮なされ、各人の生活の糧を不平等になされるということである。預言者さまSAWは、「アッラーは、信仰篤いしもべを愛され、各自が自分の健康の為に飲食を我慢するように、信仰篤いしもべを現世において守って下される。」と述べておられる。 財産の分け前が少ないということが、アッラーがそのしもべを愛しておれない証拠な訳ではないし、そのことが損なことであるということではない。アッラーがしもべの生活の糧を不足になされるのは、御自分の御側に近付く機会を与えられようとするからである。アッラーを思うことに時間を割かせ、自分の意志で従順であろうとする為の一方法なのである。それが、各自を本当の意味でより富ませ、本当に自分にとっての良いものを捜させることとなる。アッラーは、時には、或る者に財産と篤い信仰心の両方を授けられることがある。それは、全能のアッラーからの気前の良い贈り物であり、アッラーが御望みの者に与えられる恩恵なのである。

アッラーは、クルアーン・暁章において述べておられる。

「さて、人間は、主が試しに寛大にされ恵みを授けられると、彼は、『主は、私に寛大であられます。」と言う。』」「だが、彼を試して、御恵みを減らされる時は、『主は、私を軽視なさいます。』と言う。」(89章 15–16節)

この章節で語られていることとは、豊富な財産を与えられることをアッラーに運命づけられる者たちの全てが、アッラーに本当に愛されているとは限らないということである。生活の糧の支給が少なく見える者が辱めを受けている訳では決してないのである。誠の厚遇というのは、心からの従順、神への愛、知識をアッラーから授けられる、そうした時にあるものなのである。辱めを受けるというのは、アッラーがそれらの恩恵をしもべに得させない時のものである。結局のところ、貧しいとか富んでいるとかいうものは、敬虔さという秤によってのみ量ることが出来るものなのである。アッラーは、クルアーン・部屋章において述べておられる。

「・・・アッラーの御許で最も貴い者は、お前たちの中の最も主を畏れる者である。・・・」(49章 13節)

信者たちよ、アッラーは、慈悲によって恩恵を授ける方であり、アッラーへの感謝を続けるところに更なる恩恵があるものである。アッラーは、クルアーン・イブラーヒーム章において述べておられる。

「・・・もし、お前たちが感謝するなら、われは必ずお前たちに(恩恵を)増すであろう。・・・」(14章 7節)

財産を与えられる喜びを慈悲溢れるアッラーに感謝することは、アッラーからの恩恵の賜物であり、アッラーへの感謝の気持ちは更に増すこととなるのである。至高のアッラーへの感謝の表し方には次の方法もある。それは、アッラーが御悦びになられることに財産を費やすことである。即ち、家族の為にだけ財産を費やすことから、教育の発展、結婚等の促進、地域のマスジド、病院等の維持建設、寡婦や孤児の世話、学費の補助などに財産の使い道を広げることである。その結果、幸福と喜びが広がるということである。

信者たちよ、向こう見ずな消費、即ち、浪費は、財産を食いつくす結果を生み、借金を背負う苦労を、家族や周囲の人々に負わせることとなる。財産を使いう健全な方法としては、理性をもった使い方と、自分の生計について良く考えた使い方を心得ることである。

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブーバクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

アッラーよ、財産を正しい稼ぎ、財産を正しく費すことが出来るように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAWを愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAWに従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、仕事に成功を、そして安心と安全を御与え下さい。 アミィーン

ホトバ要約.

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