終末の日の存在とそれへの備え (2017年4月14日)

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年4月14日)
―― 終末の日の存在とそれへの備え ――

あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

アッラーは、クルアーン・ルクマーン章において述べておられる。
「人々よ、お前たちの主を畏れなさい。また、父がその子の為に役立たず、子も自分の父の為に少しも役立たない日を恐れなさい。誠、アッラーの約束は本当である。お前たちは、現世の生活に騙されてはならない。アッラーについて欺く者に、お前たちは、欺かれてはならない。」(31章 33節)
アッラーは、アッラーを畏れるように命じておられ、そのことをいつでも心に留め、日々を過ごしてゆきなさい。

信者たちよ、次のハディースを思い起こしなさい。「或る日、預言者さまSAWが教友たちと座っていると、天使ジブリールが下りてこられて、『信仰とは何か。』と問われた。預言者さまSAWは、『信仰とは、アッラーを信じ、天使を信じ、預言者を信じ、終末の日を信じ、アッラーに御会いすることを願うことです。』と答えられた。」 誠に、終末の日が存在することを信じることは、信仰箇条の一つとなっている。
アッラーは、クルアーン・婦人章において述べておられる。
「お前たち信仰する者よ、アッラーとアッラーの使徒を信じなさい。また、使徒に下された啓典と、以前に下された啓典を信じなさい。そもそも、アッラーを信じることなく、天使たちと諸啓典、アッラーの使徒たち、そして、終末の日を信じない者は、確かに、遠く迷い去った者である。」(4章 136節)
終末の日の言い表し方には、復活の日、集められる日、審判の日、清算の日等々がある。その日が存在することを信じることによって、自分自身の徳性を高め、物事に対して誠実に係ろうとする思いを助長する。ムスリムとしての自分は、自分の行いの結果につて考えることとなる。即ち、自分が行ったことについて問われる為にアッラーの御前に立ち、審判がその後に下されることを、心から信じるということである。そのことは、礼拝する者たちが皆唱えるクルアーンの開端章の章句において、至高のアッラーは我々に語りかけておられる。
アッラーは、クルアーン・開端章において述べておられる。
「最後の審きの日の主宰者に。」(1章 4節)
終末の日に、アッラーが創造物に質問をなされ、時同じくして、神の最後の審判は、下されるのである。審判に際しては、人々のどんな行いも見逃されることはなく、また、良い行いと悪い行いが同じに扱われることもない。
アッラーは、クルアーン・ひざまずく者章において述べておられる。
「悪行を追求する者と、信仰して善行に勤しむ者とを、われが同じに扱うとでもお前たちは思うのか。(不信心者たちの)生(即ち、現世)と死(即ち、来世)が同じであるとでも思うのか。彼ら(不信仰者)の判断こそ誤算である。」(45章 21節)
終末の日がいかに重要な日であるかについては、アッラーはクルアーンで述べ、我々に警告を与えておられる。
至高のアッラーは、クルアーン・巡礼章及び眉をひそめて章において述べておられる。
「人々よ、お前たちの主を畏れなさい。その(審判の)時の揺れは、全くもって重大事である。」「その日、お前たちは見るだろう。全ての哺乳するものは、哺乳することを忘れ、全ての妊婦はその胎児を流し、また、人々は、酔ってはいないのに、酔いしれたように見えるであろう。なぜならば、アッラーの懲罰が厳しいからである。」(22章 1–2節)
「やがて、(終末の)一声が高鳴り、」「人が自分の兄弟から逃れる日、」「自分の母や父や、」「また、自分の妻や子女から(逃れる日)。」「その日、誰も彼も自分のことで手いっぱいである。」(80章 33–37節)
終末の日の人々の様子について預言者さまSAW は、述べておられる。「アッラーは、一人の信者を御側に来らせて、覆いをかぶせられる。そして、『お前は、これこれの悪事を犯したかね。』と尋ねられる。その信者は、『犯しました。わが主よ、』と答える。その者が、あらゆる悪事を認め、破滅を考えるようになるまで、アッラーは質問を続けられる。それからアッラーは、『現世で犯した悪事を覆い隠してしまおうではないか。今日、お前を赦してあげようではないか。』とおっしゃられる。そして、その者は、善い行いの記録を与えられる。不信心者や偽善者についてはどうかと言えば、悪事が暴露された上で、立ち会いの天使は、『主に嘘を吐いた者がおります。見るがいい、アッラーの呪いが、悪事を働く者に降りかかる。』と言うであろう。」

信者たちよ、誰をも待ち受ける終末の日と最後の審判の存在は、良い行いをするようにと、皆の心を呼び覚ます。確かにそのことは、良い行いを勧める動機である。例えば、子供は両親に良く接し、近所の者は互いに良い関係を持ち、雇われ人は誠実に務めを果たし、従業員は仕事をこなそうと努め、雇主は雇用者の権利を満たし、高齢者は若者に思い遣りをもって接し、金持ちは貧しい者に喜捨するということである。これらの全ては、アッラーの御悦びを得るものであり、終末の日の苦難を恐れる故のものである。誠にアッラーは、良い行いと良い言葉に対して、素晴らしい楽園を約束なされる。全能のアッラーは、クルアーン・人間章において述べておられる。
「また、彼らは、アッラーを敬愛するが故に、貧者と孤児と捕虜に食物を与える。」「(そして言う。)『私たちは、アッラーの御喜びを願って、あなた方を養い、あなた方には報酬も感謝も求めません。」「私たちは、主の、苦渋に満ちた御怒りの日を恐れます。』」「それで、アッラーは、その日の災厄から彼らを守り、素晴しい喜びを与えられる。」(76章 8–11節)
誠に、心が恐れによって動揺し、苦悶が頂点に達するのが審判の日である。だが、敬虔な信者たちは、アッラーが約束なされる通りにその日がやって来ることを信じる。それ故に、敬虔な信者たちは、それへの備えを既に行っている。即ち、敬虔な信者たちは、礼拝し、祈願を熱心に行い、喜捨を惜しまず、人助けを行う。敬虔な信者たちは、アッラーの御前に立つ時のことを恐れ、信仰行為も何もかもが新たには受け入れられない日について不安と希望とを抱きつつ、悪事から遠ざかるのである。
至高のアッラーは、クルアーン・御光章において述べておられる。
「人々は、交易や商品に惑わされないで、アッラーを念じ、礼拝の務めを守り、定めの喜捨に怠りなく、彼らの恐れは、心も目も転倒する日(即ち、終末の日に対して)である。」(24章 37節)
従いなさいと命じられている事柄とは、アッラーを畏れることである。イスラームの教えに従うことによってのみ楽園に入ることが出来るのであるから、そのことに気付きなさい。見苦しいものや悪事を避けて、品行をより良くし、良い人間となるように努めなさい。アッラーは、クルアーン・詩人たち章において述べておられる。
「『その日には、財宝も息子たちも、役立ちはしない。」「ただ、汚れのない心を、アッラーに捧げる者だけは別であるが。』」(26章 88–89節)
現世は終わりを遂げようとし、来世は近づいているのである。すぐにも審判の日が来ると思い、今、それに備えなさい。審判の日は、すぐそこに迫っている。明日には、したくても新たな善行を最早なし得ないかも知れない。

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブーバクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

アッラーよ、終末の日に備えて、日々善行を積むことが出来るように御力添え下さい。
アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。
アッラーよ、預言者ムハムマドSAWに従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。
アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。
アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

ホトバ要約.

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