アッラーの教えを守りなさい(2016年12月16日)

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2016年12月16日)

―― アッラーの教えを守りなさい ――

あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

信者たちよ、預言者さまSAWは、次のように述べておられる。「何かの行いには、それぞれの結末がある。アッラーとの約束を破れば、アッラーは、敵を送り込まれる。アッラーの教え以外のものによって政治を行えば、貧困がはびこる。取引がいい加減になってしまえば、アッラーは、収穫をだめにしてしまわれ、飢饉が襲う。ザカートを出し惜しむと、干ばつに襲われる。」 また、預言者さまSAWは、次のように述べておられる。「アッラーの教え、ないし、預言者さまSAWの教えに従わない者たちには、、アッラーは、所有するものを奪い取る敵を差し向けられる。また、アッラーの書に従って政治を行わないか、従う手段を講じないなら、アッラーはその者たちの集団に敵をはびこらせるだろう。」 これらは、ムスリム集団が勝利をおさめるか、敗北に陥るかの原因を述べた分かりやすい解説である。アッラーの教え、ないし、預言者さまSAWの教えに従わない、別な言い方をすれば、アッラーに対して忠実でないなら、そのことが、失敗を招く原因となるか、敵に従わざるを得ない状況を作る原因になるということである。また、アッラーの教え以外のもので政治を行うならば、そのことが、ムスリム集団を貧困や不統一や分裂が襲う原因となるということである。アッラーとアッラーの御使いSAWの教えに従うことは、勝利を手にする源泉なのである。アッラーは、クルアーン・ムハンマド章において述べておられる。

「信仰する者よ、お前たちがアッラーに助力すれば、アッラーは、お前たちを御助けになられ、足場を固めて下される。」(47章 7節)

第二代カリフ ウマルの時代に、イラク征服をなした指揮官サード・ブン・アビー・ワッカース(平安を)は、カーディシーヤの戦いの折、兵たちのテントを見回った。あるテントでは、兵たちが夜半の任意の礼拝を熱心に行い、そうしたテントからは、勝利を確信した。他のテントでは、義務の礼拝を怠るではないが、任意の礼拝をすることなく眠っているだけではあったが、推奨された任意の礼拝を怠ることが、敗北の原因になりはしないかとの懸念を生んだ。クタイバ・ブン・ムスリムは、ウマイヤ朝の偉大な指揮官で、ウマイヤ朝ホラーサンの総督であり、そこが攻められたときの事である。この総督が、タビイイーン、即ち、教友の次の世代の一人ムハンマド・ビン・ワアスィのそばを通りかかると、彼は自分の指を上に向けてアッラーに祈願しているところであった。それで、クタイバ総督は、その指が三万の兵士以上に力強いものと感じたという。礼拝を怠り、ザカートを拒み、利息を稼ぎながら、ムスリムたちは、アッラーが勝利を与えて下されるとどうして期待できようか。酒がはびこり、酒場が流行っている土地で、そこのムスリムたちは何を期待できるというのか。預言者さまSAWは、「我々の中に公正な人たちがいるというのに、災難が我々に降りかかり懲罰されるものでしょうか。」と問われ、「もしも、悪事が蔓延すれば、そういう事となるだろう。」答えられたという。

アッラーは、クルアーン・戦利品章において述べておられる。

「また、試みの災厄に対して、お前たちの身を守りなさい。それは、悪いことを行う者だけに課されるものではない。アッラーは、懲罰に厳正であられることを知りなさい。」(8章 25節)

即ち、もしも、ムスリムたちが心から勝利を願うならば、自分たちにある悪いものを改めなければならないのである。アッラーは、クルアーン・雷電章において述べておられる。

「・・・誠、アッラーは、人が自らを変えない限り、決して人々(の運命)を変えられない。・・・」(13章 11節)

ムスリムたる者は、アッラーの救援に絶望したり、希望を失ってはならない。自分たち自身を守ることが出来ない抑圧された、弱い人々がいるが故に、アッラーは、ムスリムたちに勝利を与えられるに違いないのである。預言者さまSAWは、「あなた方の中の弱さの故に勝利が与えられる。」と述べておられる。その一方で、ムスリムたちの集団内が不当で制圧的であるとすれば、その通りのことが、ムスリムたちの統治者に降りかかる。その統治者は彼らが配下を扱うように扱われるような結果を招くであろう。ムスリムたちが敵に征服されるとすれば、それがなぜ起こるのか、アッラーの叡智について考えてみなさい。その原因は、ムスリムの中の強い者が弱い者を抑圧すること、及び、抑圧されるものの権利を否定することにあるのである。それ故、そのムスリム支配者を支配する者をアッラーは送り込まれ、彼らが弱いものを抑圧するように、彼らを抑圧するのである。目には目をと言うことである。これが、歴史の始まりの時から終わりの時まで、アッラーがなされるやり方である。ムスリムたち各々の行いや行動に見合った支配者を、アッラーが如何に御与えなされるか、そのことに注意を払ってみるがよい。彼らムスリムたちの行動は、支配者の姿の中に見い出すことが出来るであろう。即ち、人々が、彼ら同志の間で公正であるならば、彼らの支配者は彼らに対して公正であり、人々が騙し合う時には、きっと彼らの支配者は彼らに対して同様であり、人々がアッラーの正義を全うしないならば、彼らの支配者は、彼らに正義をもって接しはしないであろう。第四代カリフ アリー・ビン・アブー・タイブ(平安を)は、「あなたが支配する時代には何故困難や難儀なことが起こるのか。一方、前のアブー・バクルやウマールの時にはそのようではなかったのに。」と問われ答えている。「アブー・バクルやウマールは、私自身の様な人々に対する支配者であった。一方、私は、あなたがたの様な人々に対する支配者だからである。」

信者たちよ、信仰する上で怠りがちな大きな悪事の一つは、礼拝をやらないことである。このことは、礼拝を全くやらないとか、金曜礼拝だけは行うとか、毎日の礼拝のあるものを無視するとかというものである。預言者さまSAWは、述べておられる。「イスラームにおける結束は、少し少し崩れてゆく。最初は、イスラーム法の履行の面で、そして最後は礼拝のことで。」 「不信仰を誰かの中に見い出すとすれば、それは、礼拝を怠るということである。」 「礼拝は、信仰の背骨である。礼拝を確実にする者は、信仰を確実にし、礼拝を怠るものは、信仰を捨てるに等しい者である。」 礼拝は、審判の日に問われる最初の事柄であり、そのことを預言者さまSAWは、死を前にして最後に力説された。アッラーは、クルアーン・階段章及び婦人章において述べておられる。

「また、礼拝を厳守する者。」(70章 34節)

「・・・誠、礼拝には信者に対して定められた時刻の掟がある。」(4章 103節)

預言者さまSAWは、「自分が去った後に、日々の礼拝を行うのを見捨てるような支配者が出現するだろう。」と言われ、そして、「時間通りに礼拝しなさい。それに加えて任意の礼拝を行いなさい。」と教えられた。

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

アッラーよ、あなたさまの教えに忠実な者であるように御導き下さい。

アッラーよ、を称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アミィーン

ホトバ要約.

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