自己犠牲による他人への愛(2016年9月23日)

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2016年9月23日)
―― 自己犠牲による他人への愛 ――

あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

信者たちよ、我々は何かに従おうとするならば、アッラーが命じておられることに従い、その従うことによって自分自信の生き方を定めるがよい。

アッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

「お前たちは、アッラーに帰される日の為に、(アッラーを)畏れなさい。その時、各人が稼ぎ出した分に従い清算され、誰も不当に扱われることはないであろう。」(2章 281節)

即ち、アッラーを畏れ、素直な心を養い、アッラーの命令に従いなさいということである。

信者たちよ、本日の話は、自己犠牲による愛、即ち、自分自身を愛する以上に他人を愛し、他人に寛大でありなさいということである。それは、イスラームにおいて奨励されていることであり、自分のものとすべきムスリムとしての特質である。また、それは、人間として自分のものとすべき、望ましい品格の一つである。最も素晴らしいと言っても過言ではない愛の形、即ち、自己犠牲が伴っている愛は、自分の欲求や自己追求よりもアッラーへの愛に重きを置くというところから生じるのである。自分の欲望に打ち勝つことは、アッラーに従順であることの顕われということである。自己犠牲による愛は、預言者さまSAWの特質と行いの一つでもあり、それについて、預言者の妻アイシャーさま(平安を)は、「私たちは自分たちの空腹を満たそうと思えば、満たすことは出来たが、預言者さまSAWは、自己犠牲による他人への愛の道を選ばれた。」と述べている。預言者さまSAWの貧しい人に対する思い遣りと言えば、例え、家族が欠乏状態にあっても、貧しい人に与えて貧しい人の面倒を見るということであった。預言者さまSAWは、「(マディナの)預言者マスジドに隣接している避難所に、よそからの貧しい移住者がいる限り、自分の家族は後回しである。」と家族に言い聞かせていたという。このことは、我々が見習うべき事柄である。

信者たちよ、また、預言者さまSAWは、教友たちに、あらゆる場面で自分の欲求に打ち勝ち、他人に寛大であり、自己犠牲による愛を、行いによって表すようにと教えられた。預言者さまSAWは、述べておられる。「余分の乗用の馬を所有する者は、持たない者に与えなさい。生活物資に余計がある者は、生活物資が足りず困っている者に与えなさい。」 教えの結果として、アンサール(元々マディナの住民であり、マッカからの移住者を受け入れ庇護した者たち)は、ムハジリーン(マッカからマディナへの移住者のことであり避難民である)に、お金、土地、避難先を、例えば、自宅の一部分を提供したのである。このような、アンサールーの教友たちの素晴らしい行いを、アッラーは褒め称えておられるに違いない。アッラーは、クルアーン・集合章において述べておられる。

「・・・自分ら(マディナの住民である援助者)に先んじて、(彼ら、即ちマッカからの移住者)に(戦利品が)与えられた。喩え、自分らは貧乏していても。また、自分の欲求をよく抑えた者たち、これらの者たちこそ、至福を成就する者たちである。」(59章 9節)

このように、寛大さというものは、教友たちの身についた特質となっており、援助することが、敬虔さの現われとなっているのである。自己犠牲による他人への愛を行いとした、立派な教友とその家族についての物語がある。或る日、預言者さまSAWの許に一人の男がやって来て、「空腹で我慢が出来ない。」と言った。預言者さまSAWが妻の一人に使いを出すと、「主に誓って、飲食できるものは水しかありません。」との答えがあった。もう一人の妻も同じ答えであった。それで、「誰か、この方を、今夜歓待する人はいないかね。」と呼びかけると、アンサールの一人が、「私がやりましょう。」と応じ、そして客人を家へと伴った。その妻は、「子供たちの食べ物以外には何もありません。」と言うではないか。主人は、「何かで子供たちの気を逸らしておいて、客人を招き入れて、明かりを消してしまい、我々はあたかも食べているかのように見せかけようではないか。」と妻と示し合わせた。客人は席に着き、夕食をとったのであった。翌朝、客をもてなした男が、預言者さまSAWの許へ行くと、預言者さまSAWは、「客人の為にあなたがした昨夜の行いについて、アッラーは御満悦であられる。」と言われたということである。こうした心構えと行いがあれば、最高の報酬、即ち、天国が得られるのである。自分の欲求を抑え、自分よりもアッラーを愛する方を選ぶところには、天国があるということである。

信者たちよ、至高のアッラーを信ずるムスリムにとって、自己犠牲による愛を自分のものとすることは、何にも優ることである。アッラーの道の為に犠牲にしたものについては、全能のアッラーは、何倍にもして返して下されるであろう。アッラーは、クルアーン・サバア章において述べておられる。

「・・・アッラーは、お前たちが(主の道の為に)施すものは、全て返される。その御方は、最も優れた御恵みを授けられる。」(34章 39節)

至高のアッラーが、物惜しみせず施しをする者を褒める一方で、自己犠牲を避け、アッラーの命令に従うことなく気ままに過ごす者をどのように咎められるのであろうか。

至高のアッラーは、クルアーン・引き離す者章及び至高者章において述べておられる。

「その時、ひどく目に余った者、」「また、この世の生活を重んじていた者は、」「誠、火獄がその住まいである。」「だが、主の御前に立つことを恐れた者、低劣な欲望に対して魂を抑制した者は、」「誠、楽園がその住まいである。」(79章 37–41節)

「いや、お前たちは、現世の生活の方を好む。」「来世がもっと優れ、また、もっと永遠なものであるのに。」

(87章 16–17節)

信者たちよ、アッラーに従う者であるように祈願しようではないか。アッラーに従う者であるように運命づけられていることを願おうではないか。アッラーは、クルアーン・婦人章において述べておられる。

「お前たち信仰する者よ、アッラーに従いなさい。また、使徒とお前たちの中の権能を持つ者に従いなさい。・・・」(4章 59節)

信者たちよ、アッラーに従いなさい。聖クルアーンと預言者さまSAWのスンナに従い行いが出来ますように。自己本位に対抗できる者であり、信仰篤い行いを喜びとする者でありますように。自己犠牲による愛を自分のものとし、不法な行いをしてしまいそうな時には、御守り下さいますように。過ちを御赦し下さいますように。

アッラーは、クルアーン・食卓章において述べておられる。

「・・・むしろ、正義と篤信の為に助け合って、信仰を深めなさい。・・・」(5章 2節)

愛と奉仕の樹木は、寛大さ、自己犠牲による愛と品行によって養育されるものである。預言者さまSAWは、自己犠牲による愛の行動について、困窮した時の教友のことを語っておられる。「苦しい戦いの時に、また、マディナに住む家族たちが食糧を不足とする時に、アシャリー種族の者たちは、手元に残っている食料を一か所に集め、皆に平等に分配するのであった。そうした彼らの行いは、私(御使い)からのもの(即ち、教えによるもの)であり、私は、そういう(教えを生かしてくれる)彼らがあってこその(意義のある)存在である。」

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

アッラーよ、自己犠牲によって他人に寛大であり、他人に尽くすことができる者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、信仰心の篤い者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アミィーン

ホトバ要約.

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