ムスリムとしてのあるべき姿(2016年7月29日)

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2016年7月29日)
―― ムスリムとしてのあるべき姿 ――

あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

信者たちよ、ムスリムであることは、信仰、信仰行為、行いにおいて他とは異なる、ムスリムとしてあるべき独自性を身につけているということで、ムスリムの皆がそうしたあるべき特徴を身につけていてほしいものである。

第一には、ムスリムは、アッラーだけを崇拝し、天使の存在を信じ、アッラーの書とアッラーが遣わした預言者に従い、良い悪いに拘らず定命を受け入れるべきものである。ムスリムは、アッラーに祈願し御助けを求め、預言者ムハムマドSAWが行い、また、避けた全ての事柄をお手本として従うようにと教えられている。
アッラーは、クルアーン・部族連合章において述べておられる。 
「誠、アッラーの使徒は、アッラーと終末の日を熱望する者、アッラーを多く唱念する者にとっての立派な模範であった。」(33章 21節)

第二には、ムスリムたちは、聖典クルアーンを読誦し、意味を理解し、実行に努めなさいと教えられている。教えは、常に守るべきものであり、守らなくよい日や、場面などはないのである。教えを常に守ることは、創造主アッラーの御悦びが得られる手立てであり、それが、アッラーにお会いする日、即ち、終末の日への備えである。敬虔な信者たちは、アッラーが与えて下さったものに満足し、良い時にはアッラーへの感謝の念で満ち溢れ、災難に出会った時には恨みを抱かず耐え忍ぶ。そうしたことは、敬虔な信者にとっては当然のことであり、何ら不思議なことではない。このことに関して、預言者ムハムマドSAWは、述べておられる。「何と、信仰篤い者は、自分に起こるあらゆることが良いことであると思う。即ち、幸せな時には、それが自分にとって良いことであるからアッラーに感謝し、不幸な時には、それが自分にとって良いことであると受け取り忍耐する。そうしたことは,信仰篤い者にとっては当然の事なのである。」 

第三には、ムスリムにとって大事なことは、預言者さまSAWがしておられたように、夜半の任意の礼拝を継続して行うことである。自分自身を浄化する為に、夜半に少なくとも2ラカアの礼拝を行い、また、午前中にはドーハの礼拝を、そしてその他の任意の礼拝を行うということである。任意の礼拝をすることによる報酬について預言者さまSAWは、述べておられる。「アッラーのしもべであるムスリムがアッラーを思い、義務の礼拝に加えて毎日12ラカアの任意の礼拝を行うならば、アッラーは、その者の為に楽園に家を御用意下される。」

第四には、ムスリムは、至高のアッラーが命じておられるのに従って、蓄えの量に応じた額の喜捨を遅れることなく支払うというべきものである。それと、孤児の世話をすること、貧しい者への手助け、病人の励ましを優先し行うことは、ムスリムにとって大事なことである。預言者ムハムマドSAWは、述べておられる。「或る者が正当に得た蓄えからナツメヤシ一個に相当する喜捨をするなら、それが良いものとしてアッラーの許に届き、アッラーはそれを右手で受け取られ、それを喜捨をした主の為に、誰かが仔馬を扱うように大事になされる。そして、やがてそれは、山のようになる。」

第五には、ムスリムは、ラマダーン月の断食斎戒を行わなければならず、また、預言者さまSAWがなされたように、ラマダーン月以外の日にも断食斎戒をするのがよいと教えられている。その一方で、ムスリムは、朝夕に至高のアッラーの御名を唱え、赦しを請い、常にアッラーを賛美しなければならない。このことに関連して、次のハディースが伝わっている。「或る男が預言者さまSAWに、『アッラーの御使いよ、イスラームには命令が沢山あるので、手じかに行うべき何かを教えて下さい。』と尋ねると、『アッラーを思い続けるように努め、(アッラーの御名を沢山唱え)舌が乾いてしまわないようにしようではないか。』との答えがあった。」

こうした事柄の他のことについても、ムスリムは、預言者ムハムマドSAWが行われたことをお手本とするということである。その一つに、人との係わりにおいて、人に良く接し、迷惑をかけないということがある。預言者ムハムマドSAWは、「ムスリムとは、言葉と行いにおいて人を傷つけない存在である。」と述べておられる。そうした立ち居振る舞いを自分のものとする為には、何よりも、人に対して正直に話しをし、公平であるということである。善良な信者でありたいならば、何事にも嘘が無く、信頼のおける存在でありなさいということである。万一、恥ずかしい立場に立っても、臆病であるが故に嘘はつかないということは大事である。このことについて、預言者ムハムマドSAWとの間の次のような問答がある。「問い:『信仰する者は、臆病者であり得るか。』答え:『あり得る。』 問い:『信仰する者は、しみったれであり得るか。』答え:『あり得る。』 問い:『信仰する者は、嘘つきであり得るか。』答え:『あり得ない。』」 ムスリムは、人々に接触するに当たって、前向きで、役立ち、手助けをしようとする者でなくてはならない。仮に、人の役に立てそうもないならば、迷惑をかけないように遠ざかっているがよかろう。アブ・ムサ・アル・アッシャリ師(平安を)が伝えるのによれば、「ムスリムの各人は、義務の喜捨を命じられているのであるが、『何もない者はどうしたら良いのでしょうか。』と問われ、預言者さまSAWは、『自らの身体を使って働くべきであり、そうすれば、自分の為になり、喜捨になります。』と述べられた。『仕事がなかったり、出来なかったらどうしますか。』問われ、『言葉や行いによって、困った人を助けるべきです。』と答えられ、更に、『それをしない場合にはいかがしますか。』と問われ、『それならば、出来る限りの良いことをすべきです。』と答えられた。『それも適わない場合にはいかがでしょうか。』と問われ、『悪いことを避けることです。それが喜捨とみなされるでしょう。』と答えられた。」

また、ムスリムは、物事に真剣であり、毅然としている必要がある。ムスリムは、気まぐれであったり、欲望に溺れたりするのではなく、また、自慢話をする者であったり、嘘つきであったりしてはならない。預言者ムハムマドSAWは、述べておられる。「盲目に他人に従ってしまう者であってはならない。人々が良ければ、自分たちも良く、人々が不公平ならば、自分たちも不公平であると言われるが、自分をしっかり持つことが大事である。人々が良くあるなら、自分も良くありなさい。また、人々が悪くても、自分は公正でありなさい。」

信者たちよ、アッラーを畏れなさい。自分の行いを愛すること、それがムスリムを特徴づけるもう一つの特質であると心得なさい。それ故、我々ムスリムは、自分たちの務めを、それ相応に的確に行わなければならない。置かれた立場の故に見栄を張りたくなって自分を欺いたり、一時の興味に引き込まれてのめり込み溺れることのないように注意しなさい。それ以上に、我々は、互いを認め合い、喜んで互いに影響しあう必要があるのであり、物事に喜びの気持ちをもって取り組み、奉仕することが大事である。人を大目にみて許すとともに、喜びも悲しみも分かち合うことが大事である。また、自分が扱って欲しいように人を扱うことこそ必要なことなのであり、このことについて、預言者ムハムマドSAWは、「信仰篤い者は、友好的であり、人から好まれる。友好的でなく好まれない者には、良くない何かがあるということである。」と述べておられる。

以上の事柄は、イスラームの良いものの中の、ほんの一部分に過ぎない。それ故、イスラームについて熟考し、教えの意味を十分に把握することこそ大事である。そして、イスラームの真価については、多くの経験を積むことを通じで知るようになることだろう。至高のアッラーは、クルアーン・フッスィラ章において述べておられる。
「アッラーの許へと(自分を)呼び招き、善行をなし、『誠に私は、ムスリム(アッラーに帰依する者)です。』と言う者程、美しい言葉を語る者があるであろうか。」(41章 33節)

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

アッラーよ、ムスリムとしてあるべき事柄を知り、良いムスリムになれるように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。
アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。
アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。
アッラーよ、日々の生活が順調で快活で、そして、安心と安全を御与え下さい。 アミィーン

ホトバ要約.

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