聖月と聖月の正しい過ごし方

2012年6月8日

アッラーを畏れなさい。アッラーを畏れ、アッラーに助けを求め、アッラーに懺悔しなさい。悪い心と、悪い行いに対抗できるように、アッラーの御加護を求めようではないか。

アッラーの御導きに従った者は、正しい道を踏み外すことなく、アッラーの御導きに従わなかった者は、正しい道に導かれることはない。アッラーの他に神は存在せず、アッラーには共同者は存在しないこと証言する。ムハンマド(祝福と平安を)は、アッラーのしもべで御使いであることを証言する。

ムハムマドとその一家、教友たち、終末の日まで彼らに従う者たちに祝福と平安がもたらされますように。

信者たちよ、アッラーは、クルアーン・悔悟章において次のように述べておられる。

「誠、アッラーの御許では、月数は12ヶ月である。アッラーが天と地を創造なされた日、(その時から)御書巻の中にあった。その中の、4ヶ月が聖なるものである。それが正しい教えである。だから、その聖月中には、お前たちは互いに過ちを犯してはならない。そして、多神教徒が皆でお前たちと戦うように、皆で戦え。アッラーは、主を畏れる者と共にあられることを知りなさい。」(9章 36節)

聖月は、アラビア語では「じっとして動かない月」の意味をもつズールカーダ月(11月)から始まる。なぜなら、その前のシャーバーン月、ラマダーン月、シャッワ-ル月の3ヶ月の戦いの後、この月の間アラブの民はじっと動かず、戦いを控えるのが習わしであった。ズールカーダ月が始まるのを確認する為の新月の後の月が見えるや否や、この月とそれに続くズールヒッジャ月とムハッラム月の3ヶ月間には、戦いを止めたものである。それが終わると、もう一つの聖月であるラジャブ月(7月)まで、人々は再び戦い、殺戮、略奪を行った。

そのもう一つの聖月であるラジャブ月には、人によっては特別なものとして断食斎戒を行い、特別な信仰行為に熱心になる。この月中断食斎戒を行う等と言った預言者さま(祝福と平安を)の確かなスンナは見いだされず、また、イマーム・イブン・ハジャル師(平安を)は、ラジャブ月を特別に気高い月とみなすとの信頼できるハディースは無く、ハディースであるとするものがみいだされるにしても、それは裏付けに乏しいものに過ぎないと書いている。

この月を特別なものであるとの間違いを犯す者がいるにしても、それはそうとして、我々はこの月を含む聖月には行いを正し、アッラーによる正しい道への御導きに感謝しようではないか。

「お前たちは互いに過ちを犯してはならない。」という、悔悟章の教えがあるであるから。そして、いつ何時でも、過ちを犯してはならないのは当然のことではあるが、聖月には特に留意すべきである。その意味するところは、多神教徒が聖月に果たされた制約を守らずに先延ばしし、また戦争を行うといった違反を行うといったことだけでなく、自分にとっては違反行為であるという事柄がもっと包括的に含まれているということである。それは、知識に乏しいが故に起こるであろう知らないということだけでなく、自分の宗教に適合しているかどうかを自分に問いもしないという、そうしたことを含んでの、自分にとっての違反行為ということである。

アッラーは、蜜蜂章において次のように述べておられる。

「われがお前たちより以前に遣わし、啓示を授けたのは人間に他ならない。お前たちがもしも分からないならば、以前に訓戒を与えた民に聞いてみるがよかろう。」(16章 43節)

マッカの多信教徒たちは、ムハムマド(祝福と平安を)が預言者であることを認めず、何故自分たちにはアッラーは人間ではなく天使を遣わされないのかと不平を述べた。それで下されたのが、この章節である。

また、アッラーは、婦人章において次のように述べておられる。

「彼らは、(戦いの)優勢、劣勢の情報を得る度にそれを言いふらす。だが、もしもそれを使徒、ないし権威を委ねられた者たちに問いただしたなら、判断を求めた者は、」(正しいことを)知り得たであろうに。誠、アッラーの恩恵と慈悲が、お前たちの上になかったならば、わずかの者の他、お前たちはきっと悪魔に従ったであろう。」(4章 83節)

預言者さま(祝福と平安を)は、「知らない時には尋ねるがよい。なぜならば、無知は調べることを通じてのみ改善される。」と述べておられる。危害のある行いを気ままにさせておくとか、自分の宗教から学んだことを避けるとすれば、それは自分にとっての違反行為である。即ち、禁じられていると知っていながらそれを行ってしまう、ないし、義務であると知りながら、その義務行為を放置するといった場合のことである。

自分の宗教に頓着することなく生活し、人に宗教について喚起することを怠るだけでなく、宗教に従う者を支えることもしないのは、自分にとっての違反行為である。徳の高い月に、その月の意義が役立たされることなくいたずらに過ぎ去るとすれば、それは自分にとっての違反行為である。いかに多くの良い行いを実行するかに頓着せず、金を集めることに時間を使い果たしてしまうような生活のことである。アッラーから恩恵を受けながら、恩知らずであることは、自分にとっての違反行為である。

アッラーが授けて下さった、物が見えるという恩恵が、アッラーが禁じられたものを見る為に使われているとか、物音が聞こえるという恩恵が、アッラーが禁じられたものを聞くために使われているとか、また、しゃべることが出来るという恩恵が、陰口をたたく、あらぬ噂を言いふらす、他の人に対し嘘を伝えるなどの為に使われるといったことがそれに該当するのである。

信者たちよ、どれ程の恩恵を、アッラーは皆に授けて下さっているかを考えてみようではないか。そうした恩恵の一つ一つがいかに役立たされているかを見つめてみなさい。さて、聖月をアッラーに御悦び頂く為に役立てたであろうか、アッラーの教えに従わない様なことに使われはしていないであろうか。

アッラーは、クルアーン・イブラーヒーム章、慈悲あまねく御方章及び蜜蜂章において次のように述べておられる。

「また、アッラーは、お前たちが求める、あらゆるものを授けられる。仮にアッラーの恩恵を数え上げても、お前たちはそれを数え切れないであろう。人間は、誠、不義であり、忘恩の輩である。」(14章 34節)

「善いことへの報いは、善いことでなくて何であろうか。」(55章 60節)

「お前たちが与えられる如何なる恩恵も、アッラーからのものである。そして、災難に出遭う時には、お前たちは、ただただわれに御助けを懇願する。」(16章 53節)

アッラーよ、あなたさまだけがあらゆるものを下されると心から知り、感謝する者であるように御導き下さい。
アッラーよ、愛する預言者さま(祝福と平安を)をお手本として実行できる者であるように御導き下さい。
アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちが正しい道を歩むように御加護下さい。
アッラーよ、何時でもあなたさまを顧みて感謝し、満足を知る者であるように御導き下さい。
アッラーよ、私たちがクルアーンとスンナの教えに従い、忍耐強い者であるように御導き下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。
アッラーよ、仕事に成功を、そして安心と安全を御与え下さい。 アミィーン

ダウンロード:マスジド大塚金曜日礼拝ホトバ要約(2012年6月8日).doc

ホトバ要約.

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