アッラーの教えに忠実であること

2011月12月23日

あらゆる称賛は、慈悲あまねく慈愛深いアッラーへのもの。預言者ムハムマドとその一家、教友に祝福と平安がもたらされますように。

信者たちよ、預言者さま(祝福と平安を)は次のように述べておられる。

「次に掲げることには、それぞれに結果が生じる。アッラーとの約束を守らない者には、アッラーは敵を送り込まれる。アッラーの掟以外のもので規定する者たちには貧困がはびこる。商売で人を欺く者たちからアッラーは収穫を奪われ、彼らを飢饉が襲う。ザカートを出し惜しむ者たちは、干ばつに襲われる。」

また、次のように述べておられる。

「アッラーからの、ないし、預言者さま(祝福と平安を)からの約束事に従わない者たちから、アッラーは、彼らが所有するものを奪う敵を差し向けられる。また、アッラーの書に従って規定しないか、それに従う手段を企てないなら、アッラーはその者たちの許に敵をはびこらせるだろう。」

これらは、ムスリム集団が勝利、成功し、ないし、失敗に陥る原因の分かりやすい解説である。

アッラーからの、ないし、預言者さま(祝福と平安を)からの約束事に従わない、別な言い方をすれば、忠実でないなら、それは失敗ないし、敵に従うこととなる原因になる。

同様に、アッラーの掟以外のもので統治することは、貧困や不統一や分裂がムスリム集団を襲う原因である。一方で、アッラーとアッラーの御使い(祝福と平安を)に従うことは、勝利、成功の源である。

アッラーは、クルアーン・ムハンマド章にはおいて、次のように述べておられる。

「信仰する者よ、お前たちがアッラーに助力すれば、アッラーはお前たちを助けられ、足場を固めて下される。」(47章 7節)

第二代カリフ ウマルの時代に、イラク征服をなした指揮官サード・ブン・アビー・ワッカース(平安を)は、カーディシーヤの戦いの折、兵たちのテントを見回った。あるテントでは兵たちが夜半の任意の礼拝に余念が無く、そうしたテントからは勝利を確信した。他のテントでは義務の礼拝を怠るではないが、任意の礼拝をすることなく眠っているだけではあったが、推奨された任意の礼拝を怠ることを、敗北の原因になると心配した。

クタイバ・ブン・ムスリムは、ウマイヤ朝の偉大な指揮官で、ウマイヤ朝ホラーサンの総督であり、そこが攻められたときの事である。
この総督が、タビイイーン即ち、教友の次の世代の一人ムハンマド・ビン・ワアスィのそばを通りかかると、彼は自分の指を上に向けてアッラーに祈願しているところであった。それで、クタイバ総督は、その指が三万の兵以上のものと感じたのである。

礼拝を怠り、ザカートと拒み、利息を扱いながら、ムスリムたちは、どうしてアッラーが勝利、成功を与えて下されると期待できようか。

酒、酒場が流行っている土地で、そこのムスリムたちは何を期待できるというのか。

「『我々の中に公正な人たちがいるというのに、災難が我々に降りかかり懲罰されるものでしょうか。』と、預言者さま(祝福と平安を)は問われ答えられた。

『もしも、悪事が蔓延すればその通りの事となるだろう。』」

アッラーは、クルアーン・戦利品章において次のように述べておられる。
「また、試みの災厄に対して、お前たちの身を守りなさい。それは、不義を行う者だけに下るものではない。アッラーは、懲罰に厳正であられることを知りなさい。」(8章 25節)

即ち、もしも、ムスリムたちが心から勝利、成功を願うならば、アッラーがクルアーン・雷電章において述べておられる様に、自分たちにあるものを変えなければならないのである。

「・・・誠、アッラーは、人が自らを変えない限り、決して人々(の運命)を変えられない。・・・」(13章 11節)

自分たちを守ることが出来ない抑圧された、弱い人々がいるが故に、アッラーはムスリムたちに勝利、成功を与えるだろうから、ムスリムは、アッラーに絶望したり、希望を失ってはならない。

預言者さま(祝福と平安を)は述べておられる。「あなた方の弱さの故に勝利、成功が与えられる。」

ムスリムたちが内輪どうしで不当で制圧的であるというその通りのことが、ムスリムたちの統治者にあるというのは事実であり、彼らの統治者は彼らが家来を扱うように扱われることであろう。ムスリムたちが敵に征服される時には、アッラーの叡智についてよく考えてみなさい。

その原因は、ムスリムの中の強いものが弱いものを抑圧すること、および抑圧されるものの権利を否定することにある。この故に、そのムスリム支配者を支配する者をアッラーは送り込まれ、彼らが弱いものを抑圧するように、まさしく彼らを抑圧するのである。目には目と言うことである。これが、歴史の始まりの時から終わりの時までのアッラーがなされるやり方である。

自らの行いや行動がそれに値するような姿の支配者を、まさにアッラーがムスリムたちに如何に御与えなされるかに注意してみなさい。それはやはり、彼らの行動は支配者の姿の中に明らかにされている。
即ち、人々が、彼ら内輪どうしで公正である時にはいつでも、彼らの支配者は彼らに対して公正で、人々が他を騙し合う時にはいつでも、彼らの支配者は彼らに対し同様であり、人々がアッラーの正義を全うしないならば、彼らの支配者は彼らに正義を持っては接しないであろう。

第四代カリフ アリー・ビン・アブー・タイブ(平安を)は、

「あなたの時代には何故困難や難儀なことが起こるのか。一方、前のアブ・バクルやウマールの時にはそのようではなかったのに。」

と問われ答えている。

「アブ・バクルやウマールは、私自身の様な人々の支配者であり、一方私は、あなたがたの様な人々の支配者だからである。」

信者たちよ、信仰上で怠る大きな悪事の一つは、礼拝をやらないことである。このことは、礼拝を全くやらないとか、金曜礼拝だけは行うとか、毎日の礼拝の残りを無視するとかによるものである。

預言者さま(祝福と平安を)は述べておられる。

「イスラームにおける結束は、少し少し崩れてゆく。最初はイスラーム法の履行の面で、そして最後は礼拝のことで。」

「一人の人と不信仰の間にあるものとは、礼拝の不履行である。」

「礼拝は信仰の背骨である。礼拝を確実にする者は信仰を確実にし、礼拝を怠るものは信仰を捨てるに等しい者である。」

礼拝は、審判の日に弁明することとなる最初の事であり、そのことは預言者さま(祝福と平安を)が死を前にして最後に力説された事柄の一つである。

アッラーは、クルアーン・階段章及び婦人章において次のように述べておられる。

「また、礼拝を厳守する者。」(70章 34節)

「・・・誠、礼拝には信者に対して定められた時刻の掟がある。」(4章 103節)

預言者さま(祝福と平安を)は、自分が去った後に、日々の礼拝を行うのを見捨てるような支配者が出現するだろうと言われ、そして、「時間通りに礼拝しなさい。それに加えて任意の礼拝を行いなさい。」と教えられた。

アッラーよ、イスラームとムスリムたちを御加護下さい。あなたさまに感謝し、満足を知る者でありますように。
アッラーよ、私たちがクルアーンの教えに従う者でありますように。私たちを祝福下さいますように。
アッラーよ、私たちを、あなたさまを何時でも顧みる善い信者の一人となるように御導き下さい。
アッラーよ、私たちが正しい道を歩むように御加護下さい。私たちの信仰心を強くして下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。
アッラーよ、仕事に成功を、そして安心と安全を御与え下さい。 アミィーン

ダウンロード:マスジド大塚金曜日礼拝ホトバ要約(2011年12月23日).doc

ホトバ要約.

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