アッラーを念じるということ

2011年6月24日

あらゆる称賛と栄光はアッラーのもの。預言者ムハムマドに祝福と平安がもたらされますように。

信者たちよ、アッラーを畏れなさい。アッラーの御命令に従う事と、禁止の事柄を避ける事を最も大事な事として留意しなさい。アッラーはクルアーン・雌牛章において次のように述べておられる。

「お前たちは聖なる儀式を果たしたならば、アッラーを念じなさい。お前たちの祖先を念じる様に。いや、それよりももっと魂を打ち込んで念じなさい。人々の中には、『主よ、現世で私たちに幸せを賜りますように。』と言う者があるが、彼らは来世における分け前を得られないであろう。」
「また、人々の中には、『主よ、現世で私たちに幸せを賜り、また来世でも幸せを賜り、業火の懲罰から私たちを御守り下さい。』と、言う者がある。」
「これらの者は、その行った事に対して分け前があるであろう。誠、アッラーは、精算に迅速であられる。」(2章 200_202節)

アッラーを思うことは、信者たちを身近に取り巻いているものであり、それを行う特定の場所を無理に定められたり、言葉や行動、考えや信念に係わる何らかの戒律のもとに置かれているものでもない。

思うというのは主に呼び掛ける一時の事ではないのであって、朝であるとか、夕方であるとか、マスジドであるとかミフラーブ(マスジドのイマームが立つ窪みの場所)であるとか、また、しもべが地上を縦横無尽に旅をした後とか、望むままに行動したとかの制約や条件があってなされるものではない。

主を思う事は、誰でもが自らの宗教を実践している結果であり、一方、主はどんな時にも人々が何処にいようも御覧であられる。主の命令と禁止に従って行動し行為する道にある者は、人間の弱さを知っているから、自分を襲い悩ますあらゆる事について主に助けを求めるものである。アッラーへの服従し行動する者は、至高のアッラーを思い出すであろう。思うという事の有り場所は礼拝、断食斎戒、巡礼であり、合法と禁止というもの有り場所は、買い、売り、結婚、離婚などの場面である。

アッラーを思うムスリムは、起きて、眠り、座り、立ち、朝に出掛け、夕方に戻るのであるが、そうした日常の中に心に思い、目を巡らし、手足を動かす事にも感動を覚え、それらの全てがアッラーの手中と、アッラーの支配下に有るということを感じ取るのである。

アッラーはクルアーン・イムラーン家章において次のように述べておられる。

「または立ち、または座り、または横たわってアッラーを唱念し、天と地の創造について考える者は言う。『主よ、あなたさまはいたずらにこれを御創りになられたのでははいのです。あなたさまの栄光を讃えます。火の懲罰から私たちを御救い下さい。」(3章 191節)

主の栄光を讃える事については、主を讃える者たちが居ることを、アッラーは天使に対して誇るべき事として語られたと言うことであるが、その事が次のハディースの中に示されている。

「アブー・サイード・フドリーは伝えている。御使い(祝福と平安を)は、円陣を作り座っている教友らの集まりの処に行き、『座ってなにをしているのか。』とお尋ねになったことがあります。彼らはそれに対し、『私たちはアッラーに祈願し、アッラーを讃える為に座っているのです。なぜならアッラーは、私たちをイスラームの道に導き、私たちに加護を与えて下さったからです。』と答えました。この時、御使い(祝福と平安を)は、『アッラーにかけて、なんとあなたたちはそれだけの為に座っているのですか。』と言われたが、彼らが『アッラーに誓って! 私たちが座っているのはその目的の為だけです。』と答えると、『私は、あなたたちに異議があって、誓いを求めているわけではありません。ただ、天使ジブリールが私の処に来て、アッラーは天使たちにあなたたちの素晴らしさについて語っておられると、私に知らせて下さったからです。』と言われたのです。」

イスラームの日は、黎明のかすかな明かりか、その少し前に始まり、昼間の長さを広げ、午前と午後、夜から早朝へと移りゆく。ムスリムは夜明けになって起床すると、「全ての称賛は私に健康を与えられ、魂を私の肉体に戻された御方のもの。その御方を思うことを赦し下さい。」と祈願し一日を開始する。そして預言者さま(祝福と平安を)は次のように述べておられる。「我々はイスラームの徳をもって起床し、心から感謝の言葉を述べ、預言者ムハムマド(祝福と平安を)の宗教と父祖イブラーヒームのやり方に従いムスリムとしてアッラーの唯一性を頼りとし、そして、多神信仰を犯すことはない。」

信者たちよ、この長いイスラームの一日には、色々と祈願することがある。飲食、旅行と帰宅、眠ることと目覚めていること、厄介や困難の時、健康や病気等の為の祈願、また、現世とそこでの困難、借財と支払いに係わる祈願、生活の糧、家族の係わりと調和、子供の正しい成長について祈願するなどの事である。祈願や、賛美の言葉を述べることは、本来の意味で行うものと、それと共に、現世での努力についてのものがある。ムスリムたちは、そうした祈願を行い信仰とそれに伴う実践他日々の務めを果たすのである。

アッラーはクルアーン・雌牛章において次のように述べておられる。

「…『主よ、現世で私たちに幸せを賜り、また来世でも幸せを賜り、業火の懲罰から私たちを御守り下さい。』…」(2章 201節)

悪魔の呪いからアッラーに救いを求め、私たちはアッラーを唱念し安心を得るのである。

アッラーはクルアーン・雷電章において次のように述べておられる。

「これらの信仰した者たちは、アッラーを唱念し心のやすらぎを得る。アッラーを唱念することにより、心のやすらぎを得られないはずはないのである。」

「信仰して、善行に勤しむ者にとっては、至福が彼らのものであり、善美な所が帰り処である。」(13章 28–29節)

一方で、主について無知で、主を思い出すことに気付かない者たちは、破滅させられる人間以外のものではない。そして、欲望に引きずられて導きもなく現世で転落し、彼らは現世でそれ相応の目論見を持つが、アッラーからの報酬を受けられる希望は無いのである。

アッラーはクルアーン・ター・ハー章において次のように述べておられる。

「だが、誰でもわが訓戒に背を向ける者は、生活が窮屈のなり、また審判の日には盲目で甦らせられるであろう。」(20章 124節)

信者たちよ、生活の為に十分な糧を求め、安心な生計を立てようとする為に努力することは、一体アッラーの作法に適うものなのかどうか。もしも、それらを成し遂げられるなら、その時には、その者は現世での喜びを得て、更に、来世で成功することだろう。預言者さま(祝福と平安を)は次のように述べておられる。「現世で自分の欲望の赴くままに生きる者については、アッラーはその者の行いを顧みず、その者自身の目には自分がみすぼらしく、それについての記録が残るのみである。一方、来世に思いを寄せる者については、アッラーはその者の行いを受け入れ、その者の心は満たされ、現世での喜びが自ずとやって来るのである。」

アッラーよ、私たちを、あなたさまを何時でも顧みる善い信者の一人となるように御導き下さい。
アッラーよ、私たちが正しい道を歩む事が出来るように御加護下さい。私たちの信仰心を強くして下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。
仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。
アッラーよ、仕事に成功を、そして安心と安全を御与え下さい。アミィーン。

ダウンロード:マスジド大塚金曜日礼拝ホトバ要約(2011年6月24日).doc

ホトバ要約.

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